5人これから

こんな子育て、こんな家族がありますいう話。

家族紹介

読んでいただきありがとうございます。

夫、妻、長男、次男、長女の5人家族を紹介します。

ぜんまい仕掛けのように、こまこまよく動き、よく気の付く、人助けを自然にできる人です。

2019年1月、診断後の5年生存率30%の特発性間質性肺炎と診断されました。

子どもの不登校が始まったころ、近所、学校、サークルでのやりとりで人間不信に。

それをきっかけに臨床心理士を目指し資格を取得しました。

子どもたち

不登校、山村留学を経て、今はそれぞれ元気に働いています。

ASD一家:17年前のASD診断からはじまった

長男に対し

「物の道理が伝わらない」「普通じゃない」と実感することがあり、

急いで電話帳から相談できそうなところを探しました。

電話相談で、気がかりなところを伝えると、

軽~く「もっと状況をつかみなさい」「学校に見に行けるはず」と言われました。

すぐに学校に様子を見に行き、さっき話した人ともう一度話したいと電話をしました。

そうすると、「さっきの電話に誰が出たのか分からない」と言います。

本当に軽くあしらわれました。

勧め通りに、学校に見に行き電話をもう一度かけてくるとは思わなかったのか・・・

 

後日、別の相談機関への電話では、真剣に耳を傾けてくれているのが伝わってきました。そして、ほんの数分の説明すると、丁寧に医療機関を紹介してくれました。

1軒目の病院:母親であるわたしに「心身症」と診断がつく

わたしは、長男に対し注意欠陥・多動症ADHD)を疑っていました。

医師にその心配を話しました。

医師は、経験豊富な療法士が

「子どもに問題はなく元気で活発でやる気に満ち溢れている」と判断しました。

わたしは療法士を信じるからと。

 

 

続けて

「お母さんは、気にし過ぎで心身症です」「お子さんに問題はありません」

このとき、わたしはものすごい勢いで、子どもの今までのことを溢れるように話し続けました。

相当いっちゃっている親と思われても仕方ないところはあります。

でも、子どもの様子を捉えることよりわたしの異常さが気になったのでしょうか。わたしが心身症だったとして、それに対する対応はなしで、終始わたしの目は見ず、めんどうそうにちらっとこちらを窺う女医でした。

そして、次回もう一度脳波検査をするので予約するように医師に言われました。

 

廊下で予約の手続きにきた看護師に

「何度も検査して何の意味があるんだろう」と力なくつぶやきました。

だって、子どもに問題はないって言いきっていたのですから。

 

看護師は動きを止め、わたしを見て

「お母さん、紹介状もらって転院できるよ」と言うのです。

初めて会った、初めて話をした看護師がです。

 

 

この方の一言は、本当に救いになりました。 

急に希望がでてきて、他院を探し始めました。

知人たちから情報を集め、よさそうな医療機関に、まずわたし一人の相談として予約をとりました。

医師は、子どもに負担のないよう、今までの検査結果をもらうのが良いのではと転院を受け入れてくれました。

 

はれて、最初の女医から紹介状をいただいてきました。

当時の紹介状は封がしていなかったので中を見てみました。

ADHDの可能性は否定できない」と記載あるのです。

ほう~、転院するとなると急に自分の守りに入るのか。

またわたしの人間不信に拍車がかかりました(笑)

2軒目の病院はADHD

優しい先生でした。

話しをきいてくれ、子どもとも向き合ってくれました。

クラスにいられないことについて話し、いくつかの選択肢、情報を教えてもらいました。

残念ながら、教えてもらった先は、長男はどれにも対象外で、全く使えませんでした。

処方された薬は、飲むと小一時間くらいで吐くことがありました。

心配ないと言われたのですが、飲めたときでも行動に変化は見られず、対応の仕方を教わるわけでのなく、子どもが気の進まない薬をずっと飲ませてどうなのかなと思っていました。

そのころ、たまたま自閉症の子を育てている知人に会い、その子が通っている病院の先生は信頼できると教えていただきました。

今度は医師には何も言わずに病院変えました。

これ、ドクターショッピングですね。

3軒目の病院

ここであっさり、アスペルガー症候群(現在のASD)の診断を受けました。長男が小3のとき。

このとき、はじめてASDを知りました。

後日、下の2人も検査しました。

2人に出てきた診断名は、広汎性発達障害(現在ならASD)、学習障害ADHD(注意欠如・多動症)。

子育てでの困りごと 

当時小3の長男は、

学校で、かんしゃく、反抗的な態度、教室からの抜け出しが目立っていました。

家では、悪いことをした後、悪いと理解できないのが一番の困りごと。

 

病院では定期的に、障害の特徴や関わり方について医師と話すことができました。

その度に、医師の言葉から、夫の言動の説明を受けているように感じていました

夫は、未診断ADHDASD傾向

夫は普段優しいのに、突然怒りだし、理由も言わずに何日も食事をせず、話もしないときがあります。

夫とのやりとりは、子ども対応よりわたしにはこたえました。

彼はASDADHDに限りなく近いと思います。

妻 は、ASD傾向のHSP

そして、わたしはASD傾向のHSP(Highly Sensitive Person=とても敏感な人)

・・・と思っています。

夫の両親は他界しているのでわかりませんが、

私の父は生粋のADHD、母はASD傾向が強いと思います。

ということは、もしかしてASD一族?(大人は未診断です)

もめごと、不登校、親失格の烙印

なにしろ、学校や近所でもめごとが多くて。

同級生の母親には「しつけができてない」「教えているの?」と罵られて。

子どもは3人とも不登校になるし。

校長、教頭先生からは。登校させるのは親の義務だと詰め寄られて。

親、兄弟からは、「変な子たち」「親の対応が悪い」と言われるし。

 

そのうちわたしは、だれとも会いたくなくなりました。

ちょうどのころおたふくかぜに。

このときは子どものがうつったのですが、

2か月後、家族でただひとり、水ぼうそうに(@_@;)

免疫力落ちていたんですね。

臨床心理士をめざす 

私は何にでも飛びつくところがあり、解決したくてたまらない人。

考えているようでいて、けっこう短絡的です。

臨床心理士をめざしたのは、悔しさから・・・

専門家になれば、学校側はこちらの話をまともに聞くだろうと。

親の話を鼻であしらわれ、ほんとに悔しかったのです。

そして、自分をこころの中をなんとかしたかったのだと思います。 

夫の本音、わたしの孤独

子どもたちは小さい頃から元気で、子どもらしくて。

でも、上の子は、いきなり人に物を投げたり、飛び降りたり、窓から物を落としたり、

ときどき「まさか」があって。

 

ここぞというときは真剣に教え・・・

いえ、真剣に血相かえて怒鳴っていました。

もちろん効果なしです(~o~)

 

あるとき、夫が子どもに対して怒りだし、間に入ったわたしと大もめになりました。

夫は、

「今まで言わなかったけど、帰宅すると、外まで怒鳴り声が聞こえてきて家に入りたくなかった。もう関わりたくない。」

ほんとに嫌そうに言うんです。

わたしは、すーっと力が抜けていく感じがしました。

「わたし一人でやっていたんだ。」

 子どもは変われる

今までもいろいろあり、今後に不安要素は満載です。

でも、子どもたちは、けっこう幸せそうな大人になっているんです。 

子どもって変われるみたい・・・。

大人はあまり変わっていないようです(^O^)

 

そんな日々のできごと、

「夫の闘病記録」「これまでの変化」「それぞれの楽しみ」「今も迷っている子育て」など、少しずつ妻の視点で書いていきます。

 

どこかの子ども、どこかの家族にとって、そしてわたしの家族にとっても希望につなが

ることを願いつつ(*^_^*)