5人これから

こんな子育て、こんな家族がありますいう話。

集団活動に入らない息子は自慢だった

古い話になりますが、子どもが3歳のころのことです。

特に、初めての子どもを育てているとき、同じくらいの年齢の子の様子は気になるもので。

私も、やはり気になっていました。

 

集団の活動は無視

例えば、10分単位でじっと石を見ていたり、何かをみつけて飛んで行ったり、おもちゃがなくても自分で楽しみや遊ぶを見つけている毎日。

つまり、自分なり遊びを創造できるということ。

それが、けっこう自慢だったのです。

集団で踊るなど、リードする人に合わせて何かをするときは、そっぽを向いていましたが、わたしは気にしていませんでした。

入れないのではなく、入らないと思っていたから 

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LMoonlightによるPixabayからの画像

幼稚園入園の見学 

長男を幼稚園に入れるとき、見学日以外の日に候補の園を3カ所見学しました。

いつもの自然な子どもたちの様子が見たかったからです。

その幼稚園で必ずした質問があります。

「子どもが幼稚園に行きたくないと言ったら、どのようにしているのですか?」

という内容です。

それは、長男は幼稚園に通うのを嫌がるような気がしていたことと、

無理やり引きずって園に連れて行くことには抵抗があったので、どんなふうにするのだろうと思ってした質問でした。

 

3つの園のうち2つは、

「泣いても収まるので、気にしないで連れてきてください」

というようなことを、めんどうそうに言いました。

 

わたしは、あまりに単純な答えでびっくりでした。

長男は嫌だとなると、手を引いていくのは無理で拉致するようにしないとだめだろうと思っての質問なので、答えになっていなかったのです。

何かこう技や、ポイントがあるのではないかと期待してきいたのです。

 説明してくれた方は、そんなわたしの質問には関心がなく、

「こちらの話をきいて」「この子たちを見て!」という勢いです。

 

そのとき見せてくれたのは、4歳位の子たちが紙の鍵盤で練習しているところ。

「こうして年長になったときには鼓笛隊をするまでになります」

とても誇らしげに説明しています。

 

「はぁー」

と答えながら、見えたのは、同じ服を着た20人以上の子たち。

静かに床に座っています。

実際に音を鳴らすならまだしも、紙を前にして覇気がない。

これが4歳児の時間の過ごし方?

子どもたちがかわいそうに思えました。

それを満足そうに語っている方に対して背筋がざわっ。

そして、この子どもたち、どうして静かに座っていられるのだろうと不気味に感じました。

 

うちの子には合わない。

ここは止めておこうと。

これが20数年前に人気のあった園です。

この園、いつからか鼓笛隊はなくなり、英語、スポーツなど人気のありそうな特別保育活動が豊富です。

その時代の人気にうまく合わせているのかもしれません。

つまり、当時こういう指導は一定の人気があったということです。 

 

そうして通ったのは、元気に走り回って遊ぶ自由度の高い幼稚園でした。

こちらのタイプの幼稚園も一定の人気があったということ(笑)

園生活は、それなりに気になることはありましたが、

子どもらしい自慢の子たちと思っていました。

環境が許せば~、才能になるんですよね。

ん?

過去形!?

誤解のないように~今も自慢の子たち!  

想像力のある子は小学校では問題児 

人の言うことに、黙ってすぐ従うことが集団生活の基本。

指示されたときに、どうして? なんてきいたり

自分なりに考えて行動すると怒られるのが学校。

そこを仕切っている人がだれかってことを体で覚えていきます。

特に低学年では、口ごたえをしないで大人の言うとおりにすると褒められます。

〇〇幼稚園の子は生き生きしていましたが、小学校からの評価はよくなかったようです。

 

管理者がだれかってことは、とっても大事で、家庭、友だちとの遊び、保育園や幼稚園も同じ。

そこを通り抜け、学んできているのに、学校になるとどうしてうまくいかなくなるのでしょう。

 発達障害

同じ幼稚園の子たちも、それなりに学校のやり方になじんでいくのに

うちの子は、おもしろくなさそうな様子が増えて積み重なっていきました。

求められることが変わってきたこともあります。

学校、担任との相性、抑えつけるやり方など対応のまずさはありましたが

そこにひっかかって進めなくなること自体、子どもの対応力がまだ育っていなかったのです。

そこが発達障害ということなのでしょう。

 

わたしが、こう思うようになったのは、子どもがある程度落ち着いた義務教育を終ったぐらいです。

集団活動に入らないのは悪いことではないと思います。

残念ながら、義務教育の目指すものと、長男の当時の発達具合にずれがあったというだけなのです。

それなのに、親子とも、随分と心をずたずたになってしまいました。

衣食住が足りている場合、人にとって一番つらいことは、選びがないことではないかと思います。

特に、自分で納得することが必要な子にとっては。

また、知らず知らずのうちに、わたしはそういうところを伸ばすような子育てをしていたことも関係あるかもしれないです。

それが、本人の落ち着きになったところもありますが、統制を経験させることは少なかったと思います。

感覚統合遊び

この子との毎日はまさかの連続でたいへんだったけれど

いつも全身で遊んでいました。

おもちゃを全部出してその中に埋まったり

段ボールや新聞でいろんな物作ったり

砂風呂のように土に埋まっていたり

高いところにどんどん登ったり

全身の感覚を使って、今でいう感覚統合あそびをたくさんしていたように思います。

人には無意識に使っている感覚があります。

平衡感覚、固有感覚、触覚です。

これらをバランスよく使えるようになることが子どもの発達をサポートしていくことが感覚統合の考え方です。

この感覚統合が学習や運動の力を支えます。

・・・下記の本からの抜粋です。わかりやすく書いてあります。


学校・家庭で楽しくできる 発達の気になる子の感覚統合あそび (発達障害を考える心をつなぐ)

その他にも感覚統合の本は数多く出版されています。

専門家にお任せすることもできますが、おもしろそうな遊びが紹介してあるので、親子一緒にきゃぁきゃぁ遊ぶのも悪くないかなと思います。

 

私の場合、そのような本があることは知りませんでした。

親として、対応不能に陥り怒りまくったりと、たいしたことはできませんでしたが、

たくさん外遊びをして、いろんなものにさわって、いろんな経験ができる機会があったことはプラスになったと思います。

今は、自由で安全な空間をみつけにくくなっているので、情報集め、金銭面でもハードルが上がっていることと思います。

まとめ

子どもとして見たときに我が家の子どもたち最高に楽しい子たち!

たとえば、長男は、そういう育てられ方をしたこと

全然覚えていないで、わたしにいろんな恨み言いいます。

けっこう一緒に笑って楽しかったのになぁ。

親ってそんなものなんでしょう。

 

もし、もう一度この子を育てることができたら、どうかな。

やっぱり、長男に言うことやることは同じかな。

ただ、今度はもっともっと余裕で育てられるかもしれない。

 

つまり、やり直したとき

子どもは変わらないけど、親が変わっているってこと(笑)