5人これから

こんな子育て、こんな家族がありますいう話。

山村留学の長男 半年で顔つきが変わった

長男は中学生でした。

次男、娘の通った小学校は山村留学事業をしていましたが、中学は地域の公立中学。

学年1クラスで十数人。

ずーっと嫌々学校に行っていたのですから、

場所が変わっとはいえ、急に学校が楽しくなるはずはないですよね。

 

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すぐに不登校になることも覚悟していましたが毎日通いました。

当初は、行く前の夫のしつけの効果があったかもしれないです。

 

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長男は、いままでずーっと・・・今もたぶん

自分から人を誘わない子

(誘わないのか、誘えないのかどっちなんでしょう)

新しい学校でも、無口だったようです。

しばらくして、学校の先生と話をするようになったようで・・・

必要意外のことはしゃべらない子と先生がどのように会話をしたのか・・・?

教師への不信感

大人になった長男と何かの話で 

「中学で不登校のときの担任はあなたを気にかけていたのでは?」ときくと

長男がさらりと、

「自分のために俺が学校にくるよう声をかけていた」「おれを気にかけてはいない」と断言します。

「大きくかまえて、無理せず子どもの様子に合わせてくれていた」ほどよい先生とわたしは思っていたのですが・・・

んーどうなのかな、ここは不明!

小学の担任については相当不信感があり

「廊下でいきなり背負い投げされた」(たぶん、教室から脱走したとき)

「謝りもしない」(そういえば、先生わたしに謝ったような???)

「授業中『それ知っている』と言ったら、先生がなんども、『なにいってんだ? そんなはずねえだろ』『やーい』とばかにされた」

「あんなのが教師やっていられるってこと自体、この国は腐っている」と言っています。

まるでナウシカとテト?

ジブリが大好きなわたし

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Nicole PankallaによるPixabayからの画像

ナウシカキツネリスのテトが出会ったとき、自分の指を噛ませたままにして

「大丈夫だよ、ほらね、怖くない。ね? 怯えていただけなんだよね」

気持ちを浄化させるような、この場面好きなんです。

長男は、たまたま? 机の上に伸びてきた先生の手をペンで怪我させたらしいのです。

周囲が驚いているなか、その先生は何ごとにもせず、

わたしへの連絡はありませんでした。

(わたしをはぶった親が、息子が中学校で迷惑をかけていると教えてくれました)

その先生に謝りましたが、全然なんでもないと。

ナウシカがテトに言ったように、

「だいじょうぶ~、怯えていただけなんだよね」とは言っていないでしょうが。

教師たちは見守っていた

10年後、偶然その先生と話す機会がありました。

担任の先生ではなかったのですが、息子の名前を言うと覚えていてくれました。

先生は、うそか本当か

「そんなことあった?覚えていない。」といい、

息子のことを、

「真面目でいいやつだって分かっていたから」と。

今の息子の様子を伝えると、喜んでくれました。

そして、「無理するなよ」って伝えてくれと(涙)

若い先生が多く、よく生徒と遊んでいました。

担任の先生は、連絡帳に息子の様子を書き持たせてくれました。

母親が安定するよう助けてくれたのだと思います。

見守りって、何もしないで様子見するのではなく

できることをしながら、いつでも動けるようにしていることですよね!

先生たちが私たち家族にしてくれたことです

どうやってクラスになじんだ?

何があったのかわたしは詳しく知らないのですが

いろいろな先生が、息子を一人の人として接してくれていたのはよくわかります。

もちろん、どの子に対してもです。

  1. 先生が息子と楽しそうに話す
  2. 生徒は、あいつ普通に話せるんだと思う
  3. 生徒は、ちょっと声かけてみるかと思う

こうやって、同年代との関わりが始まったようです。

相変わらず、自分から誘うことはなかったようですが、仲の良い子ができました。

半年後、学校で転校当初の顔写真をみて

「おれ、このころどうかしていた」と呟いていたそう・・・。

中学生活を楽しめたのは、友だちができたから

部活に入ったので、毎晩、息子の服をお洗濯。

母として、こういう忙しさははじめての体験です。

毎日子どもたちを学校に送り出してだれも家にいない、

途中でだれかを迎えに行くとか、送りに行くとか気にしない生活。

おかあさんたちと、普通の話題を話せて、

「子ども学校に行っていないのに平気な顔してるよ」

なんて陰口言われることもないし。

毎晩の洗濯は幸せの象徴でした。

学校祭でみんなと踊っている姿をみて、ほんとにびっくりしました。

参加しているだけでなく

みんなでおふざけしたり楽しんでいる!!!

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Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

休み時間は、読書だけじゃなく

体育館で遊んでる!!!

ここまで生活が変われるのか? という。

小3のときに長男の時計が止まっていたってことに、動き出してはじめて気付きました。

相変わらず、自分から人を誘わないけれど

中卒のころには、斜にかまえていた転入時とは別人のように生き生きとして、

夢を見ているようでした。

新聞配達のバイトを申し込む

息子は友だちがほしかったし、必要だったのですね。

一番の友だちは、夕方新聞配達をしていました。

中学卒業後は、もと住んでいた地域の高校に行き、

土日の新聞配達のバイトを申し込みました。

人と会わないでできるのでいいのを選んだなと思いましたが、

高校になり、自分の小遣いを自分で稼ごうと思えたのは、

友だちが新聞配達をしているのを見ていたからかな・・・とわたしは思っています。

障害ってなんでしょう

自閉スペクトラム症ASD)の対応のポイントっていろいろあるけれど、

それを超えている部分がこの中学にはあったんです。

相手の言葉をきいて、まず受け止めることってASDじゃなくても必要なこと。

いままでは、最初から信じてもらえなかったのかな?

大切な人、大好きな人、関心のある人が何を思ってそれをしているのかは

気になるじゃないですか。

いちいちマニュアル的に「まず相手の考えを受け止める」と覚えていても

ほころびはでるし、応用きかないし、疲れているとできなくなる。

幼児のころは違う対応になるけれど

このぐらい大きくなると、

最初のASDの特徴が問題ではなく

相手に対して

どうせ何を言っても無駄だからと関係作るのあきらめていて、

もう、どうでもよくなり耳ふさがっているから。

関心をもってくれた人、

信じ合える人たちに出会えたこの幸運!

 

続きはまた